大正13(1924)年7月1日に、川崎町・大師町・御幸村が合併し川崎市が誕生し校名は川崎市立実科高等女学校となった。当時の服装は、紺の袂の着物に袴を着け、桜の模様の中に「実」という文字を入れたバンドをしめていた。良妻賢母の養成を教育の目標とし、口のきき方・歩き方・戸の開け閉めまで、きびしく躾けられたといわれている。 大正14(1925)年に川崎市議会で高等女学校設立の認可がおり、4月川崎高等女学校が誕生した。新校舎も榎町に落成した。高等女学校として23年間、京浜間の名門女子校として名を響かせた。